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19/03/2015

ことぶき教室3月~開講式 / 私の半生と援護協会

3月5日(木)厚生ホーム多目的サロンにて、第29回ことぶき教室の開講式が行われました。
会場には今年度初回ということもあり、沢山の方にお集まりいただけました。
開講式では、パラー老人クラブ 諸石輝雄会長の祝辞をいただき、その後今年度のことぶき教室プログラムの発表がありました。

続いて今回は、アマゾニア日伯援護協会太田勲事務局長(以後太田さん)が講師となり、
「私の半生と援護協会」についてお話しされました。

高田城ポスター 高田城ポスター2

太田さんの出身地には、日本三大夜桜と蓮まつりで有名な高田公園があります。
夜桜は弘前公園(青森)上野恩賜公園(東京)についで、それは見事なものです。

高田城

1950年新潟県高田市(現 上越市)に誕生した太田さん。ご生家は、太田製菓店という和菓子屋さんを営んでおられ、
現在も太田さんのお兄様が跡を継いでいらっしゃるそうです。高校時代まで高田で過ごした太田さんは、就職で上京されたそうです。

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若かりし頃の太田さん

就職から4年も過ぎると、将来のポストがどの辺か、だいたい見えてきてしまった太田さん。
そんな時に出会ったのが、海外移住事業団(現 JICA)の海外移住ポスターだったそうです。
そこに将来の希望を見出した太田さんは、群馬県の赤城海外研修所で農業経営を目指す仲間たちと、
3ヶ月の訓練を受けることになりました。訓練を一緒に受けた30名の仲間たちの内、8名の方がパラー州に移住されたそうです。

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希望に燃える太田さん

1975年、24歳の時にブラジルへやってきた太田さんは、トメアスーでなぜか農業従事ではなく、
CAMTA(トメアスー農協)で働くことになりました。
そして、6年後、30歳になった時に、また人生が大きく変わります。
友人の誘いで遊びに行ったバーベキューで、浅瀬に飛び込んで、頚椎損傷という大怪我を負ってしまった太田さん。
そして最終的に運ばれたのが、アマゾニア病院だったそうです。
生死の境を彷徨ったにもかかわらず、奇跡的に歩けるまでに回復した太田さんは、日本へ戻ってリハビリを続けられたそうです。

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生死の境を彷徨った後の太田さん

リハビリも終え、肉体労働で体力も70%まで回復した太田さんは、1983年、32歳の時に再度ブラジルを目指します。
そして、お世話になった援護協会に挨拶に行ったことで、太田さんのブラジル第二の出発点が援護協会に決まったそうです。
(人生は何がきっかけになるか、本当に分かりませんね。)
就職後は、福祉部長、厚生ホーム長、病院事務長補佐、そして、事務局長補佐、総務部長と進み、
2006年に、事務局長になられ、現在に至ります。
残念ながら今回は奥様との恋愛談をお聞きすることはできませんでしたが、情熱を持ってブラジルへ渡られた太田さんですから、
ぜひ次回はお聞きしたいですね。

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結婚式で                            現在の太田さん

 

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