ことぶき教室10月 ~アマゾン地方日本人のさきがけ~

 10月1日(木)厚生ホーム多目的サロンにて、10月のことぶき教室が開催されました。
今月は汎アマゾニア日伯協会第一副会長の堤剛太氏を講師にお迎えし、お話をお聞きしました。
今回で講師をするのが3回目だそうで、95年の第一回目の講師のときは、講義を始めたとたん、
Iさんのおばあちゃんが枕を取り出して眠り始めたという豪快なお話や、
02年の第二回目の講師の際に、久しぶりに見たおばあちゃんが居たそうで、
後日その方の息子さんに、「お母さんに先日会いまして・・・」と話したところ
「そんな筈はありません母は昨年亡くなりました・・」という怪談めいたお話などで始まった今回の講義ですが、
もちろんしっかりと堤氏の専門分野の移住史についてお聞きしました。

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堤氏は、ここ20年から30年の間、移住の歴史について、色々な方にインタビューをされてきているそうです。
戦前戦後と移住された方々のご苦労あってこその今なので、その大切な部分を歴史に埋もれさせてしまわないように、
あちこちを駆け回って取材を重ねて来られているそうです。
ただ残念なことに、年配の方が多いので、堤氏の取材後に亡くなっていく方も多く、
まことしやかに「堤氏の取材を受けると、その後亡くなる」というような、噂が流れ、
取材拒否を受けることがあったとか、なかったとか・・・。
堤氏が集めたインタビューテープのうち、すでに8割の方は亡くなられてしまったそうで、
今ではとても貴重な歴史的資料になっているそうです。

堤氏は、アクレ、ロライマ、ホンドニアでのインタビューは終えたものの、
ホートランディアとアマパはまだということで、近いうちに回りたいとおっしゃっていました。

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ブラジル北部への移住は戦前戦後とあったわけですが、
堤氏いわく、戦前の移住地は医療も調った整備された場所への移住だったそうですが、
戦後の移住地は「土地があればどこでもいい」といった未開の地への移住だったそうです。
この中でも移住協定が結ばれる以前にブラジル北部へ渡った日本人が居たということで、
写真や資料とともに、どんな方たちが居たのかをお聞きしました。
コンデ・コマこと前田光世氏や、ペルー下りと呼ばれる、アンデスを越えて他の国から来た日本人の方を写真や資料などで見ました。
中でもホンドニアのアクレーに残る日系移民の子弟は、ミスティーソが進み、
顔立ちに日本人の面影を見つけることはできませんでした。
また1926年にはアメリカ日系人が南米企業組合という会社を作っていたそうで、現在でもカスタニャールに跡地が残っているそうです。

今回の講義では、コンデ・コマの試合チケットのコピーや、当時の新聞記事など貴重な資料を見見ることもできました。
堤氏は今後、集めた資料を元に、アマゾン移民の先駆けとなった方たちについての執筆活動を始められる予定だそうです。
この貴重な記録を、本という形で残すことにより、これから先消えることのない歴史になると思うと、
少し不思議な気もしますが、ぜひとも堤氏には執筆活動を頑張っていただきたいですね。